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世界遺産「ワルシャワ歴史地区(旧市街)」甦った街

こんにちは。あおです😊

ご訪問いただきありがとうございます。

 

夫のワルシャワ赴任が決まった時、

ワルシャワってどこにあるの?ロシア?

ポーランドだよ。

ポーランド?ポーランドはどこにあるの?

ヨーロッパ!

こんな会話になることがしばしばありました。

ポーランドって日本人にはあまり馴染みのない国のひとつだったのかもしれません。

 

それが、ロシアによるウクライナ侵攻が始まってからは、ポーランドは日本だけでなく世界に注目される国になりました。

いち早く隣国ウクライナに対し強力なサポートを行った国だからです。

そして今、首都ワルシャワでは住民の17%がウクライナ人になっていると聞きます。

決して豊かな国とはいえないポーランドが、これだけの避難民を受け入れ、支援物資を送り続けて大丈夫なのかしら…と少し心配になりました。

 

なぜポーランドはここまでウクライナを支援するのでしょうか……

元々ポーランドにはウクライナ人が多く住んでいたので、強い絆があるように感じていました。

そしてポーランドも近隣の大国から侵略された歴史があるので、その痛みや苦しみをよく理解できるのだと思います。

 

ナチス・ドイツポーランド侵攻第2次世界大戦が始まり、ポーランドナチス・ドイツソ連に国を分断占領されました。

そして第2次世界大戦後ソ連の衛星国として占領下に置かれたポーランドの人々にとってウクライナの危機は決して他人事ではなかったのだと思います。

 

今日は、そんなポーランドの歴史を振り返りながら、戦禍から甦り世界遺産となった「ワルシャワ歴史地区(旧市街)」についてまとめてみました。

よろしければ、おつきあいください。

*目次*

 

↑ワルシャワ歴史地区(旧市街)王宮広場・右にあるオレンジ色の建物が旧王宮

 

ナチス・ドイツに破壊された街

第2次世界大戦中首都ワルシャワナチスの占領下におかれていました。

1944年、ナチスの迫害に耐えかねたワルシャワ市民は、ナチスに抵抗して一斉蜂起しました。(ワルシャワ蜂起)

しかしソ連軍の裏切りとナチス・ドイツの圧倒的な戦力の前に敗北。

20万人以上の市民が殺されました。

 

 

さらにナチスは報復として歴史ある美しいワルシャワの街をダイナマイトで徹底的に爆破しました。

歴史的建造物を破壊し、国の歴史を抹殺しようとしたのです。

その結果、ワルシャワの街はその85%が瓦礫と化し旧市街は跡形もなく消え去りました。

 

↑ワルシャワ歴史地区(旧市街)王宮広場

 

ワルシャワ市民の熱い思いで甦った街

終戦後、「首都ワルシャワの復興はもはや不可能」と思われていましたが、ワルシャワ市民は、かつての街を復元する事業に取りかかります。

地図や建物の設計図はほとんど消失していたため、写真やスケッチ、さらに人々の記憶までを総動員して「壁のひび1本まで」忠実に復元しようとしたのです。

戦後の厳しい時代、満足な食事もとれない中で、気の遠くなるほどの労力を注ぎ込み、ワルシャワの街並みは1970年代になってほぼ完全に昔の姿を取り戻したのです。

 

↑ワルシャワ歴史地区(旧市街)旧市街広場・中央にあるのは人魚像

 

世界遺産としての価値

その後ポーランド「ワルシャワ旧市街」世界遺産として推薦します。

1980年の世界遺産委員会では「ワルシャワの旧市街」に、はたして世界遺産としての価値があるかどうか激しい議論が交わされたそうです。

なぜなら、中世の街並みに見せかけてはいますが、この街にある全ての建物は、実は復元された建物で本物ではないからです。

「本物であること」それが世界遺産の絶対条件。

しかし最終的に「復興にかけたワルシャワ市民の熱い思い」が評価されて登録が決まったのです。

 

↑ワルシャワ歴史地区(旧市街)旧市街広場

 

ワルシャワの人魚

激動の歴史の中でワルシャワのシンボルとして昔から人々に親しまれている人魚像旧市街広場(左)↓にあります。

この人魚はワルシャワを守るために盾と矛をもち常に戦いに備えています。

 

↑市内数カ所にある人魚像

 

ヴィスワ川を泳いできた人魚が、悪徳商人に捕まった時にワルシャワの漁師に助けられ、その恩返しとしてワルシャワの街と住民を守ることを誓ったという伝説もあるようです。

盾と矛をもった人魚ワルシャワの紋章にもあしらわれているし、市内のあちこちで装飾として使われています。

 

スターリンからの贈り物

世界遺産ではありませんが、下の写真の建物はワルシャワ中央駅付近にそびえ立っている文化科学宮殿です。

市内のどこからでも目につく文化科学宮殿は、ソ連からポーランド市民への贈り物としてスターリンの命令によって建てられました。

当時ソ連の衛星国だったポーランドは、これを拒むことができなかったのです。

 

↑文化科学宮殿

 

当時、共産圏で流行った重厚な高層建築で、スターリン・ゴシック様式と呼ばれるそうです。

とにかく、その存在感がすごい!

ソ連時代の遺物ということで、ワルシャワ市民には評判が悪く、取り壊すべきだという意見もあったようですが、今なお街の真ん中に鎮座しています。

夜になるとライトアップされるのですが、レインボーカラーのほかにも真っ赤だったり青白かったり……

きれいというより、不気味に感じることがしばしばありました。

好き嫌いはありますが、ポーランドの歴史を象徴するランドマーク的建物です。

 

おわりに

世界遺産としての価値がどこにあるかを考えると、その国の歴史に繋がります。

ソ連に悩まされ続けたポーランドって遠い国の話のようですが、ロシア日本にとても近い国。

そのロシアウクライナの戦争は終わりが見えません。

 

今後どうなっていくのか……1日も早い収束を願うばかりです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

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